大判例

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大津地方裁判所 昭和47年(ワ)171号 判決

原告 日宅暎

右訴訟代理人弁護士 山本寅之助

同 芝康司

同 森本輝男

同 古田隆規

同 藤井勲

被告 トヨタカローラ滋賀株式会社

右代表者代表取締役 井上敬之助

右訴訟代理人弁護士 永田雅也

右訴訟復代理人弁護士 小原望

同 浅野徹

被告 島田春生

右訴訟代理人弁護士 高須宏夫

同 近藤倫行

主文

被告トヨタカローラ滋賀株式会社は原告に対し金二九四万四、四四二円および内金二六七万四、四四二円に対する昭和四七年九月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

被告島田春生は原告に対し金八八三万九、二三一円および内金八〇三万九、二三一円に対する昭和四七年九月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告と被告トヨタカローラ滋賀株式会社との間においては、原告に生じた費用の一〇分の一を同被告の負担とし、同被告に生じた費用の一〇分の九を原告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告島田春生との間においては、原告に生じた費用の一〇分の四を同被告の負担とし、同被告に生じた費用の一〇分の五を原告の負担とし、その余は各自の負担とする。

第一、二項は仮に執行することが出来る。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

被告トヨタカローラ滋賀株式会社(以下、被告会社という)は、原告に対し金二三四万六、四八〇円および内金二一四万六、四八〇円に対する昭和四七年九月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

被告等は原告に対し各自金二、一九一万一、四九一円および内金二、一一一万一、四九一円に対する前同日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告等の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告等

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二、当事者の主張

一、請求原因

(一)1  第一回目の事故発生

昭和四四年一〇月一六日午前八時三〇分頃滋賀県甲賀郡石部町石部先国道一号線上において、訴外福井孝嗣(以下福井という)運転の普通貨物自動車(滋四ま三八五四号、以下、第一加害車という)が原告運転の軽四輪乗用自動車(八滋よ六五三六号、以下、第一被害車という)に追突した(以下、第一事故という)。

2  第二回目の事故発生までの損害

(1) 原告は第一事故により頸椎捻挫、右上肢不全麻痺の傷害を受け、治療のため

昭和四四年一〇月一六日から昭和四五年三月二五日まで一六〇日間済生会滋賀県病院(以下、済生会病院という)に通院

昭和四五年三月二六日から同年一一月二九日まで二四九日間同病院に入院

同年一一月三〇日から昭和四六年八月二三日まで二六七日間同病院に通院

昭和四六年八月二四日から同年九月七日まで一五日間兵庫県の香雪記念病院に入院

同年九月八日から同年一〇月四日まで二七日間済生会病院に通院

したが、完治していなかった。

イ 入院雑費 七万九、二〇〇円

原告は右主張のとおり済生会病院および香雪記念病院に計二六四日間入院し、各種雑費一日三〇〇円相当を支出した。

三〇〇円×二六四日=七万九、二〇〇円

ロ 通院交通費 七万九、六八〇円

原告は前記主張の期間中済生会病院に二四九回バスを利用して通院した。原告宅から右病院までの片道バス料金は一六〇円であった。

一六〇円×二×二四九回=七万九、六八〇円

ハ 逸失利益 二二五万七、六〇〇円

原告は左官職に従事し、賃金センサス昭和四四年度男子四〇才ないし四九才全産業平均賃金月額九万五、八〇〇円を下ることがない収入をあげていたところ、第一事故後第二事故当日まで一年一一月一七日間就労出来なかったのでその間二二五万七、六〇〇円のうべかりし利益を逸失した。

(七万五、一〇〇円×一二月+二四万八、九〇〇円)÷一二月=九万五、八〇〇円

九万五、八〇〇円×{二三月+(一七日÷三〇日)}=二二五万七、六〇〇円

ニ 慰藉料 一五〇万円

原告は前記主張のとおり治療のため、計八ヶ月と二四日間入院し、計一三ヶ月間通院したので、その慰藉料は入院期間分八五万円、通院期間分六五万円をそれぞれ下ることがない。

ホ 弁護士費用 二〇万円

原告は原告訴訟代理人らに対し本件訴訟を委任し、着手金七万円、報酬として判決認容額の一〇パーセントをそれぞれ支払う旨約しているので、弁護士費用は二〇万円を下らない。

(2) 一部弁済

被告会社は原告に対し前記治療期間中の休業補償内金として一七七万円を支払った。

(3) したがって損害残額の合計は二三四万六、四八〇円である。

(二)1  第二回目の事故発生

前記のとおり通院治療中であった昭和四六年一〇月四日午後三時頃滋賀県甲賀郡水口町今郷先国道一号線上Y字型交差点附近において、東進中の被告島田春生(以下、被告島田という)運転の軽四輪乗用自動車(八三く九三六一号、以下、第二加害車という)が、対向車線から北方に向け右折中の訴外奥邨勇(以下、奥邨という)運転、原告同乗の軽四輪貨物自動車(六滋せ五五〇四号、以下、第二被害車という)に衝突した(以下、第二事故という)。

2  第二事故発生以後の損害

(1) 原告は右事故により頸椎捻挫、頸髄損傷の傷害を受け、治療のため

昭和四六年一〇月四日から昭和四七年三月三〇日まで一七九日間済生会病院に入院し

昭和四七年四月一日から同年五月七日まで天理よろず相談所病院および木村整骨院に通院等

同年五月九日から昭和四八年五月三〇日まで三八八日間済生会病院に入院

昭和四八年六月一日から同年八月二七日まで八八日間甲州中央温泉病院に入院

同年八月二八日から現在まで済生会病院に通院

などした。

イ 治療費等 二三三万七、二〇〇円

(内訳)

(イ) 済生会病院 六八万五、〇九六円

昭和四六年一〇月四日から昭和四七年三月三〇日までの入院治療費

(ロ) 天理よろず相談所病院 三、八八四円

(ハ) 木村整骨院 二万二、七〇〇円

(ニ) 済生会病院、甲州中央温泉病院など 一六二万五、五二〇円

昭和四七年五月から昭和四八年一二月までの治療に要した諸費用

なお原告は右治療費一六二万五、五二〇円を滋賀県(甲賀福祉事務所)から医療扶助により支払ってもらったが、後日同県に返還しなければならない。

ロ 附添費 三万円

原告は前記のとおり済生会病院に入院中、うち昭和四六年一〇月四日から同年一一月二日までの三〇日間、病状が重く妻に附添看護をしてもらった。附添費用を一日一、〇〇〇円相当とすると計三万円になる。

ハ 入院雑費 一九万五、九〇〇円

原告は、前記のとおり済生会病院および甲州中央温泉病院に計六五三日以上入院し、各種雑費一日三〇〇円相当を支出した。

三〇〇円×六五三日=一九万五、九〇〇円

ニ 逸失利益 一、六二三万三、四八七円

(内訳)

(イ) 第二事故の翌日である昭和四六年一〇月五日から昭和四七年九月四日までの分 一三二万円

原告は昭和四六年一〇月当時五一才で前記左官職に従事していたら、賃金センサス昭和四六年度男子五〇才ないし五九才全産業平均賃金月額一二万円を下ることがない収入をあげていたところ、本件事故による受傷のため右期間中就労出来なかったので、その間一三二万円のうべかりし利益を逸失した。

(九万二、八〇〇円×一二月+三三万三、三〇〇円)÷一二月=一二万円

一二万円×一一月=一三二万円

(ロ) 昭和四七年九月五日から昭和四九年九月四日までの分 二六七万九、八四〇円

原告は引続き右期間中も就労出来なかったので、その間複式ホフマン方式(ホフマン係数一・八六一)により年五分の割合による中間利息を控除した二六七万九、八四〇円のうべかりし利益を逸失した。

一二万円×一二月×一・八六一=二六七万九、八四〇円

(ハ) 昭和四九年九月五日から向う一三年間の分 一、二二三万三、六四七円

原告は昭和四九年九月現在五四才であり、賃金センサス昭和四八年度男子五〇才ないし五四才全産業平均賃金年額二一三万八、六〇〇円を下ることがない収入をあげうるところ、本件事故による受傷のため、神経系統の機能に著しい障害を残し、軽易な業務以外の業務に服することが出来ない程度の後遺障害(労災保険等級七級)を残し、少くとも労働能力の五六パーセントを喪失したので、就労可能期間である六七才までのあと一三年間に、前記(ロ)同様の中間利息(ホフマン係数一二・〇七六―一・八六一)を控除した一、二二三万三、六四七円のうべかりし利益を逸失することになる。

一三万六、九〇〇円×一二月+四九万五、八〇〇円=二一三万八、六〇〇円

二一三万八、六〇〇円×〇・五六×(一二・〇七六―一・八六一)=一、二二三万三、六四七円

ホ 慰藉料 三〇〇万円

原告は前記のとおり入通院し、またニ(ハ)主張どおりの後遺障害を残したので、その慰藉料は三〇〇万円を下ることがない。

ヘ 弁護士費用 八〇万円

原告は原告訴訟代理人等に対し、本件訴訟を委任し着手金三〇万円、報酬として判決認容額の一〇パーセントをそれぞれ支払う旨約しているので、弁護士費用は八〇万円を下らない。

(2) したがって損害額の合計は二、二五九万六、五八七円である。

(三)  責任

1 被告会社は第一加害車を所有し、自己の営業のため、従業員の福井に運転させ、同車を運行の用に供していた。

2 被告島田は第二加害車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

3 よって前記(一)2の損害は被告会社が単独で賠償すべき責任があり、前記(二)2の損害は被告両名が共同して賠償すべき責任がある。何となれば、後者は福井の起した第一事故による負傷が完治しないうちに被告島田が第二事故を起し右傷害を増大させたものであるから、第二事故発生以降の損害については被告両名が共同不法行為責任を負う。

(四)  よって原告に対し、

1 被告会社は前記(一)2(3)主張の第一事故後第二事故発生までの損害残額合計二三四万六、四八〇円および内金二一四万六、四八〇円に対する訴状送達の翌日である昭和四七年九月二三日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を

2 被告両名は、連帯して、前記(二)2(2)主張の第二事故発生以降の損害額合計二、二五九万六、五八七円中の一部である二、一九一万一、四九一円およびその内金二、一一一万一、四九一円に対する訴状送達の翌日である昭和四七年九月二三日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を

各支払え。

二、請求原因に対する認否

(一)  被告会社

1(1) 請求原因(一)(1)の事実を認める。

(2)イ 同(一)2(1)の冒頭事実中

原告が第一事故により受傷し、その主張どおり各病院に入通院して治療を受けたことは認めるが、受傷の内容等の詳細は不知。

右傷害が第二事故発生直前においても完治していなかったとの点を否認する。原告が受けた傷は第一加害車の追突の態様が極めて軽微なため軽傷であった筈であり、また原告自身も昭和四六年九月頃の示談の際、同年一一月から仕事を始めると言っていたほどであるから、遅くとも第二事故が発生した同年一〇月頃までには治癒していたものと考えられる。

同(一)2(1)イないしホの事実中、原告が第一事故による受傷のため一年一一月一七日間も就労不能であったとの点を否認し、その余を争う。

ロ 同(一)2(2)の事実を認める。

ハ 同(一)2(3)の主張を争う。

2(1) 同(二)1の事実は不知。

(2) 同(二)2(1)の冒頭事実は不知、その余の事実および主張を争う。

3(1) 同(三)1の事実を認める。

(2) 同(三)2の事実は不知。

(3) 同(三)3の主張を争う。

被告会社は、福井が起した第一事故による損害について賠償責任を負うが、第二事故による損害については、第一事故と、同事故から二年近くも後に何の関連もなく起きた第二事故によるそれとの間に相当因果関係が存在しないし、また両加害行為間に行為の関連共同性も存在しないので、これにつき共同不法行為責任を問われる謂れがない。

4 同(四)の主張を争う。

(二)  被告島田

1 請求原因(一)1および2(1)冒頭の各事実はいずれも不知。

2(1) 同(二)1の事実を認める。

(2) 同(二)2(1)の冒頭事実中、原告が第二事故により受傷し、昭和四六年一〇月四日から昭和四七年三月三〇日まで済生会病院に入院したことを認め、その余は不知。原告の受けた傷は昭和四七年三月三〇日に治癒ないし病状固定をしている。

イ 同(二)2(1)イ(イ)の済生会病院治療費として六八万五、〇九六円を要したこと、

同(二)2(1)ロ中の、妻が附添看護をしたこと(但し、その期間を除く)

をそれぞれ認め、

ロ 同(二)2(1)ニ(ハ)中の、後遺障害の程度、労働能力喪失割合、喪失期間をそれぞれ否認する。原告に残った右後遺障害は労災保険等級一四級程度の鞭打症であり、その労働能力喪失率は五%、喪失期間は病状が固定した昭和四七年三月三〇日から一年間である。

ハ 同(二)2(1)中の、その余の事実はすべて不知。

ニ 同(二)2(2)の主張を争う。

3 (1) 同(三)1の主張は不知。

(2) 同(三)2の事実は否認。

(3) 同(三)3の主張は争う。

4 同(四)2の主張を争う。

三、抗弁

(一)  被告両名

1 本件第二事故現場はほぼ東西方向の国道一号線に県道が接続しているY字型交差点附近であるところ、第二被害車を運転し右国道を西進して来た奥邨は、対向車線を横切りY字型交差点を経て県道に進入するべく、国道の中央線付近に寄り、右折の合図をし一旦停車したのであるが、折から被告島田運転の第二加害車が約四八米先の右対向車線を時速五〇粁で東進してきたのであるから、かかる場合奥邨は、被告島田運転の右加害車が直進中であって右折する被害車より優先通行権があり、かつ、被害車が一旦停車するなどして同加害車の通過を待つかの如き態度を示したのでそのまま直進を続けることが当然予測されるのであるから、先に同車を通過させた後右折すべき注意義務があったのにこれを怠り同車の通過を待たず右折を開始し対向車線を横断しようとした過失により、本件第二事故を惹起してしまったものである。

2 ところで原告が同乗していた右被害車は原告の所有するものであるところ、奥邨がこれを運転した事情は次のとおりである。即ち、同人は自動車修理業者であるが、事故当日朝原告が同車を運転して修理工場に搬入し整備を依頼したのでこれを整備し、試運転等すべての点検を終え、待っていた同人に引渡したのであるが、たまたま原告と同部落の得意先へ行く用もあったので、原告のため同車を運転して送り届ける途中、本件事故を起したものであって、同車の運行は原告のために行われたものであり、奥邨はその手足として運転したにすぎない。

してみれば、原告は、奥邨が犯した右過失について、自己の過失と同様に、過失相殺を受けても止むを得ない。

(二)  被告島田

被告島田は請求原因(二)2(1)イ(イ)の済生会病院入院治療費六八万五、〇九六円を支払った。

四、抗弁に対する認否

(一)  被告両名の抗弁中、

1の事実を争う。

2の事実を否認する。

奥邨は修理車の検分と自己の用を兼ねて右被害車の運転を買って出たものであり、原告の指揮命令を受けて同車の運転をしていたものではないし、原告と奥邨との関係は顧客と自動車修理業者ということに尽きるわけで、それ以上に、身分上ないし生活関係上一体をなすとみられる関係があるわけではない。

(二)  被告島田の弁済の抗弁を認める。

第三、証拠≪省略≫

理由

第一、事故の発生と責任の分担

一、第一事故の発生

請求原因(一)1の事実については原告と被告会社間に争いがない。

二、第二事故の発生

請求原因(二)1の事実については原告と被告島田間には争いがなく、原告と被告会社間においては、≪証拠省略≫によってその事実が認められ、これに反する証拠はない。

三、その責任の分担

(一)  被告会社

請求原因(三)1の事実については当事者間に争いがないから、被告会社は自賠法三条により第一事故によって生じた損害を賠償すべき責任がある。

(二)  被告島田

≪証拠省略≫によれば、第二加害車は被告島田の父である訴外島田武雄の所有名義であり、そのガソリン代や保険料も同訴外人名義で支払われていたが、実質はいわゆるファミリカーであって、同被告が殆んど毎日レジャーや通学用等に使用しており、その際本件第二事故を起したことが認められ、他に右認定を覆えすに足る証拠がない。してみれば、被告島田も自己のため同車を運行の用に供していたものと認められるので、第二事故によって生じた損害について自賠法三条の責任を負う。

(三)  ところで、被告会社が右第二事故後の損害についても責任を負うべきかどうかについては後に判断するが、被告らは右第二事故については、奥邨の過失を被害者側の過失として、その責任分担につき考慮すべき旨過失相殺の主張をしているので、ここで先にその点を判断する。

(1) ≪証拠省略≫によれば、次の事実を認めることが出来る。

イ 本件第二事故現場附近は別紙交通事故現場見取図のとおりであり、本件国道一号線は衝突現場附近から西に向って右カーブした上り坂で約五〇米先が切割状の頂上でそれを過ぎると下り坂になっているため、同図点(以下同図上の各地点を、、①、②等数字のみで示す)附近から前方約五〇米、附近から同約三〇米しか見透がきかない。

ロ 奥邨運転の被害車はの東方約一〇米の地点から右折合図のランプをつけ、の東約一ないし一・五米の自己進行車線内で一旦停車し、対向車線をトラックが二、三台通過した後、同対向車線の前方から車が来ないことを確認したうえ、北に向け右折横断したが、その後進行方向のみに気を取られ対向車線上の注視をおろそかにし、かつ、時速数粁の低速のままゆっくり横断したため、Y字型交差点に入ってブレーキを踏み停車したのと同時に後記の衝突事故に遇い、自車前部を東方に押しやられての位置に止った。

ハ 被告島田運転の第二加害車は時速六〇粁ぐらいで前記国道切割附近の①にさしかかった時、折から四八米ほど先のに車首を進め北方に向け横断開始中であった被害車を発見したにも拘らず、同車が停車し、直進車である自車に進路を譲ってくれるものと軽信し、同速度のまま直進し②に達したところ、予測に反し同車が横断を続け前方二四・一米先のに進んでいたので、驚いて急制動を踏み、同時にハンドルを左に切ったが間に合わずで自車の左前部を被害車の左前部に衝突させ③に停車した。

なお被告島田が②においてハンドルを左に切らなければ加害車は被害車の後方を通過出来た。

以上の事実が認められる。

≪証拠省略≫中には、同被告が①に来た時、被害車が③の中間辺でセンターラインをタイヤ一個分ほど跨ぎ斜めに停車中であったので、先に通過させてくれるものと思い自車を②に進めたところ、被害車が横断を開始し③附近に出て来たのであわててブレーキを踏みハンドルを左に切ったが間に合わず衝突してしまった。衝突地点はよりもう少し国道寄りであり、その時の被害車の方向も図示されているより北向きであった旨供述する部分があるが、≪証拠省略≫によると、事故後警察の実況見分時に車両の破損片が附近に散乱していたことが認められ、これと被害車の停車位置が同図に表示のとおりであったこと、ならびに警察官が第二事故直後に同被告および奥邨を立会わせて行った実況見分の結果および同被告人の警察官に対する供述調書記載に照らし、にわかにこれを措信し難く、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

(2) してみれば、被告島田には、①に来たとき四八米先の附近を被害車が既に横断開始中であったのに進路を譲ってくれるものと軽信し時速六〇粁のままで直進を続けたこと、しかも②においてハンドル操作を誤り左に切ってしまったことなどの過失があり、他方奥邨にも横断開始後、左側対向車線上を注視せず、ゆっくり横断したため、被告島田の右過失を誘発した過失があり、両者の右過失を比べると被告島田が四分の三、奥邨が四分の一程度の割合による責任を負うのが相当である。

(3) そこで、次に、奥邨の右過失を被害者である原告の過失と同視して斟酌出来るか否かについて判断する。

≪証拠省略≫によれば、

イ 原告は第二被害車を所有していたが、エンジン等の調子が良くなかったので第二事故発生当日午前一〇時過ぎ、これを運転して自動車の修理販売業を営む奥邨方工場に運び整備を依頼し、同工場内で待っていたが、午後三時前頃整備が終りエンジンテストも済んだので乗って帰えろうと思ったところ、丁度奥邨が運転席に居たので空いていた助手席に座り同人に運転して貰って帰宅途中、本件第二事故に遇った。

ロ 奥邨が被害車を運転したのは、修理後の調子を見ることと、同人も原告宅の近くに赴く用があったことにもよる。

ハ 原告と奥邨との関係は顧客と自動車修理業者という関係に尽きる。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠がない。

さて右の事実によれば被害車は原告の所有する車であり、原告は修理を了えた同車を自ら運転して帰宅すべきところ、偶々原告宅の近くに赴く用があった奥邨に運転を委ね自らは助手席に乗っていたものであって、自動車の運行それ自体について密接な一体性が認められ、且つ運行目的も原告のためにされた部分が大きい(修理後の調子を見ることは、エンジンテストが了っていた以上、極く附随的なものと認められる)のであって、結局原告は自己所有の被害車を自己のため運行の用に供していたものということができる。そうだとすれば仮にその運行中奥邨が他人に人損を与えた場合には、原告は奥邨に過失がなく他の者の故意又は過失があり、車の構造上の欠陥又は機能の障害がなかったことを証明しなければ責任を免れ難いのであるから、他人に自賠法三条の責任を追求しようとする場合にも、右自己車の運転者たる奥邨の過失はいわゆる被害者側の過失として過失相殺の対象となるべきものと解するのが相当である。

(4) よって、原告は後記第二事故による損害については、その四分の一程度の責任分担を免れない。

第二、第一事故による第二事故発生までの損害(被告会社の責任)。

一、すると、第一事故発生により第二事故発生までに生じた損害については、ひとまず被告会社が単独で責任を負うべきものであるから、その損害について判断する。

二、(一) 原告が第一事故により受傷し、請求原因(一)2(1)冒頭記載どおり各病院に入通院したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、原告の病状、治療経過等は次のとおりであることが認められ、これに反する証拠はない。

1  原告は第一事故発生後ほどなく頭痛、眩暈を訴え済生会病院外科において受診したところ、頸椎捻挫と診断された。

2  以来後記の第二事故が発生するまで同病院(主治医山田侃)等に前記のとおり入通院したが、その間頭頸部の痛みや眩暈の他、三叉神経痛、右上肢不全麻痺、両手を主とする四肢振顫、右半身の痙攣発作、身体各所の疼痛、軽度の意識障害、耳鳴などを起し、又レントゲン写真により頸椎の軽度の移動性異常や脳波の負荷試験による全身痙攣発作などの異常等も認められたが、安静加療の他、神経ブロックや医薬療法、物理療法を受けた結果、一進一退ながら次第に快方に向った。

3  そして第二事故発生直前頃までには、時々頭痛頭重を強く訴えたり、右上肢の振顫や痛みが現われたり、他覚的にも頸部の圧痛等や右上肢の捷反射の亢進が残っていたりして、完治までには至っていなかったけれども、頸椎のレントゲン写真や脳波テストの各結果等も正常に復し、全体的にみて病状が軽快して落着き、病状固定の状態に近づいていた。そのため、治療方法も薬物療法から物理療法に順次切替えられており、又、その体力も一応かなりの仕事に耐え得る状態にまで戻っていた。なお原告は昭和四六年一一月一日から事故前仕事をもらっていた訴外柊木工務店の営繕課長に就職が内定していた。

(二) 右二(一)記載の各事実に、≪証拠省略≫を総合すれば原告はそのために次の損害を蒙った事実を認められ、他にこれを左右するに足る証拠はない。

1  入院雑費 七万九、二〇〇円

請求原因(一)2(1)イ記載のとおり。

2  通院交通費 三万八、七二〇円

原告は、バス(片道料金一六〇円)を利用し、請求原因(一)2(1)記載のとおり済生会病院に計四五四日間(実日数一二一日)通院した。

一六〇円×二×一二一回=三万八、七二〇円

3  逸失利益 二二三万四、〇二九円

原告は大正九年四月一三日生れ(第一事故発生当時四九才)で、左官職に従事し、賃金センサス昭和四四年度男子四〇才ないし四九才全産業平均賃金年額一一五万〇、一〇〇円を下ることがない収入をあげていたところ、第一事故による受傷の結果同事故発生の日から第二事故発生当日までの一年一一月一九日(一年と三五四日間)のうち、一〇日間を除いて、就労出来なかったので、二二三万四、〇二九円の収入を失った。

七万五、一〇〇円×一二月+二四万八、九〇〇円=一一五万〇、一〇〇円

一一五万〇、一〇〇円×(三六五日+三四四日)÷三六五日=二二三万四、〇二九円

(端数切捨、以下同じ)

4  慰藉料 八〇万円

前記二(一)記載の済生会病院等入通院した事実、受傷の部位、程度、治療の経過その他諸般の事情を総合して考慮すると、原告が第一事故により第二事故発生までの間に蒙った精神的損害に対する慰藉料は八〇万円をもって相当とする。

第三、第二事故発生以後の損害(被告両名の責任)

一、まず原告は、第二事故発生以後に生じた全損害は、福井の第一事故を起した運行行為(以下、第一事故行為という)による負傷が治癒しないうちに、被告島田の第二事故を起した運行行為(以下、第二事故行為という)によってその結果を増大させたものであるから、両行為が共同不法行為となり、被告らは右全損害を連帯して賠償すべきものと主張する。

しかし乍ら、共同不法行為の成立には、事故を起した各加害行為がそれぞれ独立した不法行為の要件を満すほかに、両行為間に関連共同性が存しなければならないのである。そして、共同不法行為が成立すれば、各加害者は全損害を連帯して賠償すべき責任が生ずるのであって、そのことが被害者の保護を厚からしめているものではあっても、債務の全部的連帯という債務者側の責任をより重からしめることの合理性は、右行為の関連共同性に求められるべきものと考えられるので、両行為が社会的に見て一個の加害行為とみられる様な場合を超えて、右関連共同性の存否はこれを濫りに拡張解釈すべきものではないというべきである。

ところで、本件においては、第一事故行為と第二事故行為とは両者間に何ら意思的共同性のないことはいう迄もなく、また両者の過失(運行)行為が競合して一個の事故を生ぜしめたというのでもなく、はたまた第一事故行為自体又はそれによる負傷が原因となって第二事故行為を誘発したような行為間の連鎖(例としては傷害とその治療上の医師の過失)もないのであって(第一事故による受傷治療のための通院途上の事故でもない。)、両行為間に共同不法行為の成立は認め難いものといわなければならない。尤も後記三1のハに判断するとおり、前記第二事故以後に生じた損害の一部には、第一事故による頸椎捻挫等の傷害を受けていたために、第二事故だけでは発生しなかったような重篤な頸椎捻挫を生じたことにより、更に余分の治療を要し、また後遺症もために幾分か増大したと認められる損害部分(原因競合部分)の存することが認められ、前記原告の主張は、結局第二事故発生以後の全損害をそうした性質のものとして捉えるべく、それを結果発生に対する共同加功と捉えて、そこに共同不法行為の成立を肯認すべきものとなすものと解せられる。

しかし、前示共同不法行為の成立において関連共同性が要求される意味合いからみれば、右被害の増大についての相互加功性があるというだけで、そこから行為の関連共同性を導き出し、或はそのことから直ちに、行為の関連共同性を不問にして共同不法行為の成立を肯認することは、民法七一九条の適用を不当に拡張する解釈としてこれを採り得ず、右損害部分については、両行為の寄与度に応じて、その責任を分担せしむべきものと解する。

二、この様に、第二事故発生以後の損害についても、被告会社は第一事故行為との、被告島田は第二事故行為との因果関係がそれぞれ認め得るものについてのみ、各自単独でその責を負うべきこととなすからには、第二事故発生以後の損害についての第一、第二各事故行為との因果関係を探究しなければならないが、まずはじめに、第二事故発生以後の具体的な原告の病状の変様とこれに伴う治療の経過並びに残存した後遺障害の態様と、これらにより原告が蒙った損害を認定する。

1  病状の変様、治療経過等

(1) ≪証拠省略≫によれば次の事実を認めることが出来る。

イ 原告は第一事故による受傷の治療中、前記第二事故により再び負傷しその治療のため請求原因(二)2(1)冒頭記載のとおり済生会病院、天理よろず相談所病院、甲州中央温泉病院等に入通院した。(なお、原告と被告島田間においては、右事実中、原告が昭和四六年一〇月四日から昭和四七年三月三〇日まで済生会病院に入院したことにつき争いがない)

ロ 原告の病状や治療経過は次のとおり。

(イ) 原告は第二事故発生後頸部から背部胸椎上部にかけ首を動かすことも出来ないような激痛、左腹部腰椎の鈍圧痛、足部の痛み、頭痛等を訴え済生会病院外科において受診したところ、レントゲン写真より第一事故の際痛めた同じ第五、六頸椎にほぼすべり症とみられる異常所見が認められたことなどにより、頸椎および腰椎捻挫と診断され、即日入院(主治医山田侃)した。

(ロ) 初診時においては第一事故時より第二事故時の病状の方が重く、またその後しばらく頸部全体の痛みや硬直症状、軽度の右上肢の不完全麻痺、痛み、顫振等が続いたが、昭和四七年正月頃には外泊出来るまでに軽快し、更に左側頸部痛、右側頸部痛、右上肢の痺れ感も順次軽減し、同年三月三〇日同外科を退院する頃までには、他覚的には、レントゲン写真による前記頸椎すべり症所見の他、右手人差指の軽い知覚障害、軽度の頸部圧痛等が残る程度となり、病状が比較的安定してきていた。

(ハ) 原告は右外科を退院すると、かねてからの予定どおり、天理よろず相談所病院へ入院し各種の検査を受けたが、同病院の医師からも、これ以上いても良くならないから整形外科にかわり治療を受けるよう勧められ、同年五月九日前記済生会病院の整形外科に再入院(主治医沢村弘治)した。

(ニ) 以来一年間ほど、同整形外科で、首の牽引、温熱療法、マッサージ、低周波の電通等の理学療法を受けたり、鎮痛剤、末梢循環促進剤、ビタミン剤等の投与を受けたが、その治療効果はあまりはかばかしくなく、更に昭和四八年六月一日から甲州中央温泉病院に転入院し温泉療法を受けたり、その後再び済生会病院整形外科に通院したりしたが、同様殆んど愁訴に改善の兆がない。

(ホ) 原告は、現在も後頭部痛、両肩牽引痛、両第一ないし第三指知覚鈍麻、疼痛、両第一ないし第三足趾知覚鈍麻、疼痛、両前腕(母指側)自発痛、腰痛、両膝関節両足関節部痛、耳鳴を訴えるところ、他覚症状として、レントゲン検査による第五、六頸椎変形症、変形性腰椎症、変形性膝関節症、神経性難聴、両第一ないし第三指および両第一ないし第三足趾知覚、痛覚鈍麻、握力低下が見られ、これらの臨床症状と本人の主訴との間にはずれがあり理解に苦しむ点もないわけではないが、やはり、軽易な業務以外の業務に服することは困難であり、労働能力の四五パーセントを喪失する程度の後遺障害を残している。

以上の事実が認められる。

(2) 原告の第二事故後における病状について、≪証拠省略≫中には昭和四七年三月三〇日をもって軽快治癒した旨の各記載があり、≪証拠省略≫にも右同日をもって病状が固定した旨の記載ないし供述があるが、≪証拠省略≫によれば、山田医師は原告を右同日までしか診察しておらず、その後原告を診療した天理よろず相談所病院、済生会病院整形外科、甲州中央温泉病院の各医師がいずれも整形外科等で物理療法等を施す必要性を認めていることに照らし、原告の受傷が軽快治癒したとは認められないし、又前同日をもってその病状が固定した旨の右診断にも未だ時期尚早の感を免れ難い。

又前記山田証言中には、原告に残った後遺障害を労災保険等級一四級程度のものと述べる部分があるが、≪証拠省略≫によれば、昭和四九年六月開催された滋賀県中小企業傷害共済組合の会合において、後遺障害の判定に相当の経験を有する済生会病院整形外科中嶋重雄医師が作成した後遺障害証明書と昭和四七年五月九日以降原告の主治医をしている沢村医師が作成した診断書等を資料として、専門医が原告に残った後遺障害を判定した結果、同組合の障害等級八級の三「神経系統の機能に著しい障害を残し軽易な業務以外の業務に服することが出来ないもの」に該当するものとしたところ、同組合の障害等級八級の三は労災保険の後遺障害等級第八級附近に値するものであると認められるので、これらの事実に照らし、措信することが出来ない。

その他に前記(1)の認定を左右するに足る証拠がない。

2、(1) 前記第二、二、(一)3および同第三、二、1(1)各認定の事実の他、≪証拠省略≫を総合すれば、次のとおり認定および判断することが出来、他にこれを左右するに足る証拠はない。

イ 治療費等 二三三万七、二〇〇円

ロ 附添費 三万円

ハ 入院雑費 一九万五、九〇〇円

以上イないしハの各内訳は請求原因(二)2(1)イないしハ記載のとおり。(原告と被告島田間においては同(二)2(1)イ(イ)記載の済生会病院入院治療費六八万五、〇九六円分につき争いがない。)

ニ 逸失利益 七八六万一、八三〇円

(内訳)

(イ) 昭和四六年一〇月五日から昭和四七年九月四日までの分 一三二万円

(ロ) 昭和四七年九月五日から昭和四九年九月四日までの分 二六七万九、八四〇円

以上(イ)(ロ)の算出根拠は請求原因(二)2(1)ニ(イ)および(ロ)記載のとおり。

(なお、右(イ)(ロ)の逸失利益は、原告が前記の期間全面的に就労不能であったことを前提とするところ、仮に右期間内に第二事故後の病状が固定していたとすると固定後の分まで全面就労不能による損害賠償を認めることになるが、本件にあっては、原告が受傷に伴う愁訴を軽減するため、たとえ病状固定後であっても、なお前記第三、二、1(1)ロ(ニ)認定の入通院による理学療法、薬物療法、温泉療法を受ける必要があったし、また同第三、二、1(1)ロ(ホ)認定の後遺障害を残したため軽労働にしかつけず、この年令まで左官職を生業としてきた原告に直ちに方向転換をして事務労働等未経験の仕事につけと期待してもそれは無理であったのだから、結局、原告に対し、前記のとおり全面就労不能を前提とする損害の発生を認めてもこれが相当因果関係の範囲を逸脱するものではないと認められる。)

(ハ) 昭和四九年九月五日から向う七年間分 三八六万一、九九〇円

原告は昭和四九年九月現在五四才であり、賃金センサス昭和四八年度男子五〇才ないし五四才全産業平均賃金年額二一三万八、六〇〇円を下ることがない収入をあげ得たところ、本件事故による負傷のため前記後遺障害を残し労働能力の四五パーセントを第二事故発生の日から一〇年以内である昭和五六年九月四日まで喪失したので、その喪失分から複式ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除すると、その逸失利益額は三八六万一、九九〇円となる。

一三万六、九〇〇円×一二月+四九万五、八〇〇円=二一三万八、六〇〇円

二一三万八、六〇〇円×〇・四五×(五・八七四-一・八六一)=三八六万一、九九〇円

(右(イ)ないし(ハ)における中間利息控除の起算点について。原告は、本件損害賠償債務の履行遅滞によって生じる年五分の割合による遅延損害金が事故の日の翌日から発生しているにも拘らず便宜上昭和四七年九月二三日以降の分のみしか請求していないので、逆に原告の逸失利益計算中において同率の中間利息を控除するについても事故の日の翌日からこれを控除せず、右昭和四七年九月二三日以降の分のみ控除することにしてもらいたい旨主張し、この主張は相当である。従って右昭和四七年九月二三日以前の分である右(イ)の逸失利益分からは中間利息を控除せず、右基準日以後の分である右(ロ)および(ハ)の逸失利益分からのみ起算点を右基準日に修正して同利息を控除したわけである。)

なお原告は右労働能力喪失の期間を後遺症確定の日から一三年、事故の日からでは一六年間継続するものとして主張するが、これを認めるに足る証拠はなく、現在原告の症状は可成重い方ではあるけれども、通常鞭打ちは序々に軽快するものであり、現在の状態が主張の様に続くとはたやすく肯認し難く、且つ左官職という時として肉体的に相当の激務を伴う職種であることを考えると、主張の六七才まで働き続け得られるやも疑わしく、これらを綜合して、右四五パーセントの喪失率で継続するものとするときには、前認定の事故後一〇年内の前記範囲と認めるのが相当である。

ホ 慰藉料 二五〇万円

第二事故以降の受傷の部位、程度、治療の経過、入通院の期間、後遺障害の程度等の諸般の事情を総合して考慮すると、原告が第一、第二両事故によって第二事故発生後蒙った精神的損害を慰藉するには二五〇万円をもって相当とする。

(2) 以上イないしホの損害額の合計は一、二九二万四、九三〇円となる。

三、1 ところで、先に第二、二、(一)3に認定(原告と被告島田間においても同様に認定できる)の第二事故発生直前頃の原告の症状と、前記二、1(1)ロに認定した第二事故発生以後の病状、治療経過に≪証拠省略≫ならびに本件両事故の態様等を併せ判断すると、前記二、2に認定の損害は、その費目の各個につき、その様な分類に従って、具体的に選別して分離することは事実上不可能であるけれども、観念的にはなお、次の三つの損害から成っていることが認められる。

イ  第二事故発生当時なお何がしかの治療の継続を要する程度に残存した第一事故の傷害の治療およびこれに伴う諸損害(前記第二、二、(一)3の認定参照)

ロ  第一事故が無くとも、第二事故のみによって独自に発生した傷害の治療と後遺症に伴う諸損害(前記二、1(1)ロ参照)

ハ  第一事故による頸椎捻挫等の傷害を受けていたために、第二事故だけでは発生しなかったような重篤な頸椎捻挫を生じたことにより、更に余分の治療を要し、後遺症もそれだけ増大したと認められることによる諸損害

2 そして、右イの損害は専ら第一事故行為との間に、ロの損害は専ら第二事故行為との間にそれぞれ因果関係が存するに過ぎず、後発の第二事故行為がイの損害部分との間に因果関係がないのはもとより、先発の第一事故行為と雖も、前示のとおり行為相互間の関連共同性の認められない本件においてはロの損害部分については因果関係がないものといわざるを得ず、ハの損害部分についても、結局両行為の原因寄与度に従って、割合的に負担すべきものとすること既に前示のとおりである。

3 以上のとおり、第二事故発生以後の損害は、前記イとハの一部を被告会社が、ロとハの残部を被告島田が負担すべきものとなるのであるが、前示のとおり、右イ、ロ、ハの各損害を具体的に抽出分別して客観的数額を把握することは本件証拠上不可能とせざるを得ない。

4 そこで次善の策として前記第二、二、(一)3認定の第一事故による負傷の第二事故発生直前における残存程度と同第三、二、1(1)認定の第二事故による負傷の内容、程度、治療状況等との比較、前示第一事故と第二事故との事故の態様各特有被害部分等の比較などを総合考慮し、これに前記第二事故の結果については、原告も一部の責任を分担すべきことを勘案すると、第一事故行為の責任者である被告会社が分担すべき損害部分は右全損害中の一〇パーセントである一二九万二、四九三円と、第二事故行為の責任者である被告島田が分担すべき損害部分はその残九〇パーセントの四分の三に当る八七二万四、三二七円と各定めるのが相当である。

第四、まとめ

よって、原告の被告らに対する請求は、

(一)  被告会社につき、(1)第二事故発生までの前記第二(二)1ないし4の損害合計三一五万一、九四九円から請求原因(一)2(2)に自認する一部弁済一七七万円を控除した一三八万一、九四九円と、(2)第二事故発生後の損害中被告会社の負担すべき損害一二九万二、四九三円との合計二六七万四、四四二円に、(3)右認容額および訴訟経過に照らし加害者の負担すべき部分としての相当性の認められる弁護士費用額二七万円を加えた二九四万四、四四二円、

(二)  被告島田につき(1)第二事故発生後の損害中同被告の負担すべき八七二万四、三二七円から当事者間に争いのない請求原因(二)2(1)イ(イ)の一部弁済六八万五、〇九六円を差引いた八〇三万九、二三一円と、(2)前同様弁護士費用額八〇万円を加えた八八三万九、二三一円、

とこれらに対する各弁護士費用を除く部分に対する事故の日の後である昭和四七年九月二三日から支払済に至るまで年五分の法定遅延損害金の支払を、それぞれ各別に求める限度においてのみ理由があって相当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきものであるから、民訴法八九条、九三条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 笠井達也 裁判官田中亮一は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官 潮久郎)

〈以下省略〉

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